政策理念

  1. 〜民主党新世代5綱〜
  2. 政治家になった理由

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民主党を創設し、政権交代を成し遂げた鳩山由紀夫元総理、菅直人元総理をはじめとする第一世代。細川政権が誕生した93年以降に当選し、民主党結党に参加した野田佳彦前総理、前原誠司前国家戦略担当大臣をはじめとした第二世代。私たちは、民主党が誕生した2000年以降に集った第三世代にあたります。

これまで、私たちは、民主党をけん引してきた第一、第二世代の下で研鑽と経験を積んできました。政権交代以降、私たちは、数々の挫折を経験する中で、これからは、私たち自身がリスクを取って、矢面に立って党を立て直し、国民のために奮起しなければならないと考えるようになりました。

この新世代5綱をもって、経国の大業を果たしたいと思います。

 


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hosonovision >>新しい政治家モデルの構築

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hosonovision >>強い社会をつくる

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hosonovision >>地域主権で民主主義を生き返らせる

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hosonovision >>偏狭なナショナリズムに対峙
>>エネルギー危機を国家プロジェクトで乗り越える
>>食糧安全保障の確立

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hosonovision >>将来世代にツケ回しをしない
>>福島の復興に政治生命をかける

 

5綱への思いはこちらをご覧ください。

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2000年初選挙ポスター

「なぜ、政治家になったのですか?」
政治家であれば、何度となく遭遇する質問である。 候補者だった当時、ある日の朝刊に私の目は吸い寄せられた。 高校生の夢を尋ねたアンケートの結果を載せた記事であった。
記事の論旨は、男子のトップは「公務員」、女子のトップは「女優」という好対照が興味深かったが、私の目にとまったのは、「最もなりたくない職業」に男女とも「政治家」があがっていたことであった。 冒頭の質問は、「なぜ、政治家になんかなったのですか」というのが世間の本音である。 このイメージが変わらない限り、日本の政治は良くならないと思う。

私の初当選は、2000年6月の総選挙、28歳のときであった。 地盤・看板・カバンのない落下傘候補であった私が当選するまでには、幸運と縁、そして苦難があった。 民間シンクタンク研究員という職を捨て、乳飲み子を抱えて選挙にでる葛藤、「トンビは鷹を生まないからやめておけ」と断固阻止しようとした父親の説得、支援者との出会いと別れ、ツクシとタケノコを食べて貧乏をしのいだこと。 それらを乗り越えることができたのは、政治家になるという決意と、実際になれるという明確なイメージがあったからだと思う。

政治家になった理由1

 

私がはじめて「政治」を意識したのは、21歳の時である。 盲目の弁護士の自叙伝を読んで感動した私は、修行僧のような浪人生活を経て法学部に入学したものの、1年も経たずに、法律の授業に関心が持てなくなってしまった。
それなりの苦労をして大学に入ったのに、これではどうしようもない。 大学の外に目を向け、在日外国人の電話相談をしている団体の門を叩いた。 バブルがはじけた直後、巷は多くの外国人、特にバブル時に入国ビザを発給した日系人が職にあぶれていた。 日本語が話せないがゆえに、不当に解雇されても、労働災害にあっても泣き寝入りするしかない。 不法滞在で就労している人の場合はもっと悲惨であった。
日本人のこと、彼らの母国との関係、行政の冷たさ、入国管理政策・・・、私の前には初めて知る厳しい現実が存在していた。 当初は、自分も役に立っているという喜びがあったが、それはすぐに、問題を克服できない無力感に変わっていった。

「政治家になれれば」という漠然とした思いが明確なイメージに発展したのには当時の時代背景がある。 政治家を意識しだした93年、日本新党ブームで多くの若い政治家が誕生した。 横浜市長になった中田宏氏、民主党に所属している枝野幸男氏、京都では前原誠司氏・・・、国政に乗り込む彼らの姿は輝いて見えた。 「俺にもやれるのではないか」この選挙を目の当たりにしなければ、私が本気で政治家を目指すことはなかっただろう。
そして、大学四年の冬、95年に起こった阪神淡路大震災の復興支援に携わる中で、日本の政治の貧困を痛感し、何としても政治家になろうという決意は固まった。
その後、東日本大震災、特に原発事故対応の責任者となった。ここで結果を出さねば、私が政治家になった意味はない。

政治家になった理由2_ささしかえ

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